良秀は「汚らしく見えるものや、偽善・偽悪の心の中に、美の極致がある。たとえば、鷲や鷹を高貴な鳥として多くの絵師は描くが、小動物を襲い、屍を食らう。生きるということの本質を描きださなければ、ただのお座敷絵だ」
などと、場所もわきまえす゛憎きことをぬけぬけと申すのでございました。
いやしき身分の者はおろか、罪人、乞食、はたまた打ち捨てられた死人を、高貴なかたがたの中に描き出すのでございました。
絵師の仲間にも入らず、世間の風評などまったく気にしていないようでした。
そんな絵師の絵が、どうして大殿のお目にとまったのか詳細はわかりませんが、今から思えば、秀でた者どうしが引き合うという、天才非凡な方々の不思議さ、なのでございましょうか。
大殿のごひいきとなれば、それまで見向きもしなかった長者たちが、争うように絵を求めたのでございます。
しかし、良秀は多くの秀作がありながら、気にくわぬといって惜しげもなく燃やしてしまうのでございました。