子供相手の商売もあった。

 今風に言ったら、即席ミニゲームセンターみたいなもんで、輪投げ・玉投げ・射的などなど、やたら投げるものばかり。景品の中には高級品らしきものや、タバコもあったが、ナニカト難癖つけられてもらえなかった。
 五十円にも満たないこずかいは、アッという間になくなり、悲しかったなー。 高町にワクワクしたもんだけど、どうしても忘れられないシーンがある。

それは、色あせた戦闘帽に真っ白な寝巻き姿の、手足を失ったおじさんたちが、アコーデオンを伴奏して、軍歌をうたっている。傷痍軍人だった。
見るたンびにドキッとさせられ、母ちゃんの手を握り締めたもんだ。

 カーバイトのツンとくる匂いと、戦争の傷を感じさせてくれたのも、縄手通りだった。
縄手通りはすっかり変わってしまったが、冷やかし歩くたンビに、子供のころに戻っていく通りせ。

 昭和34年(1959)に、伊勢湾台風が松本を直撃。女鳥羽川が氾濫し、市内は腰までつかるほどの水浸し。屋根がそっくり飛んでいったのを見たジ。
災害救助法が適用され、知る限り後にも先にも最大級の災害だった。

 昭和40年からホロ懸けの露天商はなくなり、長屋形式の店になったが、まだまだ高町気分が濃厚だった。
 平成9年から大改造が始まり、現在の町並みとなった。
入れ物は変わったといっても、未だそれらしきムードがあり、高町など知らない若い衆がカッポしだしているのは、日本人のDNAがなせる業かいね。 
 今やお祭りばかりでなく、盆暮れのTV取材ポイントになっているもんね。

 

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