燃えた祠をみた炭焼きの木平じいさまは、自分があげた燈明が原因だと知り
えれ
一罰当たりなことをしてしまっただと、村の衆にあやまってまわったのです。“二年続いた豊作で、ちった一余裕もできたことだし、金だしあって祠を作るペー。ということになり、年のあけた一月半ばに、前の祠より大きなものを建てたのでございます。

福の神は厄子病神にたたき起こされ、与太朗のあばら家をあとにしました。
きてみれば、立派な祠が建ち、なによりもお供え物がタンマリとあります。
ウヒャーこれはありかたい”と、福の神はたいそうごきげんでございましたが、なんとなく落ち着つきません。
明るく居心地のいい部屋は、福の神に
何かしよう という気持ちを起こさせたのも自然なことでしょう。
“あまりめんどうなことはしたくないナー。部屋の中でできることといったら・・・。

そうだ。厄病神どんにならっで厄事計画じゃないし、え−と、え−と、
“しあわせ予定書”をつくろうと、とそこまではよかったのでございますが・‥。

炭焼きの水平じいさんは、信心深いから最初からだと・・・。
 一月   水平じいさん“しあわぜになる”
       清水のばあさまは、もちをあげてくれたから、次ぎだな。

 二月   清水のばあさま“しあわぜになる
       喜八のとっつあんは、たしか大根だった。三月にするか。

とまあこんなぐあいに“しあわせ予定書”を書いたのはいいのでした

が、ほんの三枚
も書いたら終わってしまったのです。

ペラペラな予定書は、分厚い厄事計画書とは比べようもございません。

あまりにも体裁がわるく、さしもの福の神も首をかしげ、考え込んでしま

いました。

「そういえば厄病神さんはだんどり”がどうの、こうのと言っていたなと

いう
とは、厄病神さんのように、おいらも走り回らなくてはいけない、と

いうことか・・
・。」

想像しただけでブルルッとふるへ、結局、−−−−と消してしまったの

でござ
います。                       


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