GHQによる占領政策

 1945815日正午、昭和天皇はラジオ放送で敗戦を告げた。真珠湾攻撃から約4年間の長い戦争の終焉であった。

 8月末から連合軍が次々に進駐を開始。連合国軍最高司令官総司令部すなわちGHQの司令官として、米国軍のマッカーサーが就任。形式的には連合国軍だが、実質的にはアメリカ軍による統治であった。日本中きめ細かく駐留し、間接的統治は1952年のサンフランシスコ平和条約まで続いた。しかし、沖縄では1972年までアメリカの統治下に置かれた。

 軍隊があった松本には武装解除のために、9月29日には将校も来るほどものものしい、ものであった。本体は200人もの兵士が駐屯し、将校たちは浅間温泉を宿舎とした。
勝てば官軍。アメリカ兵の強引な生活ぶりは、慰安施設に酒肴といいたい放題。担当者は並大抵な苦労ではなかっただろう.。
 今日、アメリカ軍は世界各地で治安のお題目で展開しているが、どこかその横暴ぶりが感じてならない。世界はグローバルだといくらいっても、白人社会の有色人に対する見下しは歴然とかんじる。

 

銭湯であったおっちゃんの話

終戦はオレが5歳の時で小池町に住んでいた。そのころはなんのことか判らなかったがなんとなく気楽なきぶんになった。今の藤森病院の駐車場あたりに防空壕があり、そこで遊んでいたら見たこともない車がきた。ジープだったがともかくたまげた。車以上にびっくらこいたのは颯爽と降りた米兵のかっこよさだった。何よりも足の長さに面食らったことを今でも忘れない。最初は怖かったが見たこともない菓子類に、もうアメリカが大好きになってしまった。今でもナンデそんな国と戦争をしたのかわからネー。

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