道祖神

信濃路の散策の楽しみの一つに、男女神が優しく抱きあっている石彫がある。

彫刻家オシップ・ザッキンはこれらの道祖神石彫を見て「芸術の不毛といわれる江戸時代に、辺土ともいうべき信濃なる山国に、 王侯貴族はおろか地方豪族の一人の庇護もない石彫だった。ただ地方に住む名もない農民の支えだけでこの石彫は生まれた。愛の姿態をテーマとして、地方の石工が, 当時の民衆が持っていた心のあこがれ・愛のかたち・を民衆の心情でとらえて、簡潔にしかも美しく石に刻みえたことに、私は無限の親しみと同時に驚きをかんじました。

 で
は、道祖神とはなんでしょう。
集落の入り口や辻などに道祖神と掘り深く刻まれた石碑や、双体のレリーフ石碑を道祖とよんでいる。厄除け・五穀豊穣・家内安全・縁結び・子宝祈願などなど庶民の切なる願いを一手にひきうけてくれる。平安な暮らしはお家が栄えること。 よき縁談のうえに子宝がめぐまれることであった。それ故に男女の性器をシンボリックにした木彫物などを祭リ、赤裸々な面もあったが、庶民の偽らない思いである。 そのほか旧正月にはさまざま伝統的な俗習があったが急速に消えている。

信州ばかりでなく各地にあった。日光街道にも点在したが、日光観光に行く外国人に恥ずかしいと、文明開化いご撤去されてしまった。

道祖神研究書の数々あるなかで、田中康弘著[信濃の道祖神]昭和50年代をお勧め。

道祖神研究書の数々あるなかで、田中康弘著[信濃の道祖神]昭和50年代をお勧め。

内田地域の道祖神祭の飾り(1月15日)

稲倉峠入り口・江戸後期のもの

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