日露戦争

この戦争が庶民にとってどんなものであったのか、冷静な観察眼で綴った名文があります。

小泉八雲ラフカディヨハーン著 日本からの手紙 190481日 東京にて

読んでいただくのが一番いいのですが、当時の庶民にとって戦争はまるでお祭気分にさせられ、危機意識は余りなかった風なことを伝えている。

 戦争のもたらすあらゆる犠牲、悲劇、不安といったものが、とりわけ首都の生活にそれなりに暗い影を投げかけているだろうと想像するのはもっともだが、じっさいには、人心の不安や意気消沈といった状態を示すような兆候は何ひとつ見当たらない。個人的な悲しみを面に出すのは恥だといまなお考えられているとおぼしい。一般国民は、戦争という出来事を、まるで芝居の光景でも見物するように、眺めているかのように思える。

子供のあらゆる玩具ばかりでなく、日用雑貨品などが戦争高揚グッツ化され、国民の戦意を維持するのを助けていると、数々の物事を具体的に書いてある。私もそれらの物――戦争グッツを当時のものとは違うのであろうが、ガラクタ屋で見つけたことがある。多分、縁の下あたりにころがっているであろう。

 さらに八雲がいかにも日本的だと感じていることの記載は、英語圏の読者にはおそらくなじみがないであろうが、今や海軍中佐広瀬武夫といえば、当然のことではあるが、日本の国民的英雄の一人になっている。------軍神と祀り挙げられていく経過を表し-----「古き日本」は生命を捨てるに値するだけの栄誉を今もなお受けることが出来る国であることを認めざるを得ない。

 日露戦争どころではない、先の太平洋戦争すら、我々国民は本当のことを知らされずに、勝った勝ったと提灯行列をしてきたのは、ほんの六十余年前である。国家による国民意識操作ともいえる影響を、私の大好きな天才的な作家である、宮沢賢治の作品にも有るのです。

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