露天商体験記

 私の近くにテキヤの親方がおられた。親方宅といっても目つきの鋭い若い衆が出入りしているわけではなく、看板もない。トラックになにやら積んで旅仕事に出ておられ、帰宅されると、酒飲みの相手にされた。ほとんどが一人で高町での露天業であったが、親父さんは一家の看板をしょっていたようだ。それ故に、業界の派手な付き合いに、稼いでいた金をつぎ込まざるをえず、奥さんの愚痴を幾度かきいた。

 その親父さんが地元で場を張ることになったが、子分たちがいない。そこで目をつけたのが、いつもブラブラしている私らだった。世間の目は余り気にしない我々としても、少しはたぢろいでしまったが、酒は飲み放題、日当もわるくない。「OK!おもしろそー」とにわか00組の若い衆になった。

 高町(参道・祭り会場などの露天商街)での場所決めは売り上げに関係するばかりか、なんと言っても一家の面子や勢力の反映である。かなり緊張感のあるものだった。

我らの親方は、なるほどなかなかの権力者とみえ、酒飲みでの話はまんざらでもなかった。

 露天テントのひさしの出具合。間口。扱う物など、かなり厳しい決まりごとを教えてもらったが、残念なことに今思い出せない。

 私たちにわか若い衆が、映画の「寅さん」のように行くわけではないし、商売のしかたもちがっていた。親父さんの商いは儲からず、日当にもならなかった。しかし、酒だけは高町を遊歩すれば、あちこちの露天商から「00組の若い衆いっぱいやってけ!」。日当などどうでもよくなってしまい、頼まれるたびに面白がった私たちであった。

 ただいま、そんな友と一杯飲めば、青春時代の財産として蘇る。

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