松本城下の南方の総鎮守の神社として、歴代の藩主から信仰されてきた深志神社は、天神様と親しまれている。現在は市民芸術館に圧せられ、往年の神聖空間が変容してしまった。

 ふだん神様とは無縁な若者も受験の神様として、「天神様」は知っているでしょう。平安時代中頃時の権力者であり学者であった藤原道真が九州大宰府に流され、死後は怨霊となってしまった。祟りを鎮めるために北天満宮が創建されたのである。それより、各地に鎮守の神として祀られていき、文学・学問の神様となっていきました。いかにも、日本人的発想ですね。

 深志神社は石川氏のあとの小笠原氏によって、城下の鎮守として建立され、それ以後、歴代の城主も、宮村神明と天満宮を町人の氏神 として保護してきました。

 松本の主な祭は天神祭・神道祭。商業的要素の高い新年のあめ市があげられる。中でも,天神祭は町内を舞台引き廻しがおこなわれる由緒ある祭りです。。

舞台に乗り、笛・太鼓・チャンチキなどなどの祭囃子は、町内ごとに親から子供へと伝承されてきたが、時代とともに消えてしまう現状は残念です。現存する舞台は、博労町の江戸後期をのぞき、明治以前のものはない。その理由の一つに明治以前の舞台は大変重く、引くのにとび職による技術がいり、町衆も大変な作業だった

 

元禄111698に水野忠直が寄進した神輿は、北の総鎮守社・岡の宮神社の神輿とともに、市の重要文化財です。

社域には絵馬堂や歌碑などが点在し、中でも江戸時代後期の狂歌師、鹿都部真顔の歌碑は美しい。

  「立廻す 高ねは雪の銀屏風 中にすみ絵の 
             松本の里  狂歌堂真顔」


江戸から来た、真顔さんが、雪化粧したアルプスを゛立廻す゛と言い表し、背景にした松本の町を歌ったのであろう。まったく余分なことですが、パソコンでこの句を入力すると、面白い狂った意味にもなってくる。おためしあれ。

 ところで真顔さん1753?1829は江戸に有って,狂歌界のリード的な歌人でした。十返舎十九など有名人が来松していたということは、町衆の財力と教養のたかさを感じますね。

 本町の書店高美甚左衛門を筆頭に19世紀の始めにはすぐれた俳人が登場しました.

深志神社・・天神様

左・・真顔さんの歌碑
境内にはたくさんの歌碑があります。
受験生の切なる願いを込めた絵馬が並び、見ているだけで面白くなってきた。

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