;松本城の競売
廃藩置県が終わると、政府はただちに全国の城郭・武器兵糧。藩兵などを解散し、軍事権を手に入れた。廃藩置県の後、旧物無用の思想はやがて、松本城は本丸を除き解体され、競売にだされた。入札価格は、天守閣その他で309両(大ざっぱな計算で、700万円)これを聞いて保存に立ち上がったのが市川量造で、落札者から買い戻された。そして、お城で『筑摩県博覧会』を開き大成功させた。
しかし、その後の維持管理がいきとどかず、明治34年(1901),松本中学校校長の小林有也が立ち上がり、明治37年修理竣工にこぎつけた。
今日の長野県は当時、長野・筑摩に別れ、松本町は筑摩県の所在地であった。
激動の幕末から明治時代の松本
明治2年1869 廃藩置県によって旧体制崩壊。
明治3年 廃仏毀釈がふき荒れる。
明治4年 松本県は4ヶ月だけで筑摩県になる。
明治6年 第一回筑摩博覧会その後4回開催
明治9年 筑摩県庁が焼失し、長野県へと合併される。
明治22年 大日本帝国憲法が発令され、松本町が発足。
明治35年 篠ノ井-----松本----塩尻 鉄道開通
明治40年 松本市になる。人口31866
明治41年 歩兵五十連隊が松本に入営。
明治45年 裏町から出火。北深志東部を全焼。
大正2年1913 松本城天守閣の修理完了。