松本高等学校

大正時代、旧制高校は全国に41校あったが,大正8年(1919)高等学校は国立としては9番目に建造された。松本市の負担金20万円は、当時の歳出の2年に相当したという。昭和25年の学制改革で新制大学「現信州大学」に生まれ変わり、30年の歴史は閉じたが、多くの人材ガ巣立っていった。昭和48年まで信州大の文理・人文学部校舎としてつかわれたのが幸いし、創立当時の校舎がのこった。

大正時代の代表的な木造洋館建築として、昭和56年に本館と講堂は長野県宝に指定された。明治の建造のような権威的・威圧的ではなく、機能的で簡素だ。内部は直線的なデザインでありながら、したしみを感じさせるのは、さりげなく彫られた飾りの美しさであろうか。大正デモクラシーといわれたこの時代、明治とも昭和とも現代とも違う、大きさとたおやかさを感じる。人工物でありながらみごとに自然と融合しているのは、単に時の流れがなした業ばかりではない。訪れた人たちがホッとするのは老若に関係がない。

 旧松本高等学校の全域は[あがたの森文化会館とあがたの森公園]として、公民館・図書館をそなえ、見学自由です。旧松本高等学校記念館など市民の文化活動・憩いの場として、松本市が大いに自慢にしていいすばらしい空間だと思います。 現在はヒマラヤスギの巨木に覆われ、お昼寝に最適だが、昭和初期の写真を見ると5メ―トルほどの高さだ。樹齢80年、すばらしい並木道です。

ギシギシと小さくささやく階段を上がると、引き上げ窓からズバッと常念岳が飛び込んでくる。往年の若者たちは青春のたぎりを燃やしたことであろう。

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