水野家廟所 玄向寺

現在は牡丹の花で有名な玄向寺は、元禄4年(1691)に開基された。時の松本藩主3代目水野忠直は、ここからの景色が大変お気に入りであった。先祖の霊廟を建てたが、寺がないので自ら幕府に願い出て、江戸増上寺の末寺として建立したのであった。明治30年代に発刊された「信濃宝鑑」の要約ですが、玄向寺については後記したいと思います。

 
仁王大門より、お顔がすばらしい丸彫りに近い石仏にいざなわれながら、緩やかな坂道を登っていく。新旧の墓石が林立する中に、女鳥羽山を背後に鳥居がある。「ナンデ?」と思うのは私だけではあるまい。鳥居から続く石段の先に、高さ
3mを越える五輪塔がドーンと9基並ぶ。初代忠清から五代までと、正室(奥方)の立派な五輪塔は、さすがに大名の墓地であると納得してしまう。廟所域も広く、北側には家臣の墓がある。自然石碑に刻まれた「OO大童子」の戒名に興味がひかれる。6代目の忠恒は刃傷沙汰で五輪塔はなく、遺骨が入って知るのは3代忠直だけです。

 忠直が愛したこの地から、松本城は高層ビル群に隠れて見つけ出すのに戸惑うが、当時はアルプス連山、特に乗鞍岳を背後にスキッと立つ松本城と、町並みの広がりを手に取るように見え、さぞかしご満悦であったことであろう。町の風景は一変しても、アルプスは変わらない。私の大好きなお昼ね場所であったが、足元にモーテルなどが出来てから足が遠くなった。だが、性の営みも極楽世界。死ぬも生きるもこの世のならい。と、マー思える。私も歳も得て雪をいただいた山々に、常住坐臥の姿を見る思いです。

松本城は画面の真ん中あたりにありますが隠れて見えなくなってしまいました

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