戸田家歴代の廟所は あがたのもり公園 近くの町内にある。それだけにかえってわかりにくいが、その規模は最も広くテニスコート2面は充分あるだろう。 所有者が松本市のためか柵がめぐらされ、内部には入れない。 内域は石積に朱色の柵がめぐり、他の廟所とは異なる明るさがあっていいかんじだ。

  初代康長の墓1632 年没享年71は、おわんを伏せたような土盛(丹波塚)の上に五輪塔が立つ。私は之を見たとき、 インド・サンチーの仏陀の墓 を思い出した。規模はまるっきり違うのだが、その後の仏塔(ストーパー)の原型になった形である。 まじかに見学出来ないのは残念だが、チョイト外周の網柵を乗り越えて、見る価値はあります

右はインド・サンチーの本物の仏陀のお墓
日本の五重塔にまでこの形が秘められていますが、 直接的に関係がないと思われますがそれにしてもよく似たかたちです。
 ブッタのお墓には鳥居と似たゲートがあり、丸彫り石彫の樹下飛天像がすばらしい。

お墓ってなんだ

 

どんな形にしろ、我々はお墓にお世話になる。現在は個人の意志によって様々なデザインのお墓があって、それはそれでいいことだと思うが、昔はそおわいかなかった。時々書いてきた五輪塔とはなんであるか、お墓の歴史を簡単にご説明しよう。

 塔とはインド語のスツーパの音訳で、中国に入り卒塔婆となり、塔婆から塔と簡略された。釈迦の遺骨を納めたインド・サンチーの塔は、土饅頭の上に傘のような石造物がある。仏像が創作される以前は、サンチーの塔を模した造形物が信仰の対象となり、様々な仏塔が造られた。仏教の南伝・北伝によって形態は変わっていったが、基本的にはサンチーのスツーパである。

 日本にあっては、ご存知のとおり五重塔や三重塔が代表的なものです。いかにも日本的なデザインですが、原型は朝鮮伝来の様式です。最上部の造形物はやはりサンチーにいきつき、下部より露盤・伏鉢・請花・宝輪・水煙・竜車・宝珠となっています。

 五輪塔には上部から空・風・火・水・地とサンスクリット語か、漢字が彫られています。意味としては、密教教理からなるこの世の仕組み、宇宙の要素を現しているといいます。また、デザインは座している人の姿 (悟りの姿)であるとも言われます。

 以前は家柄によってお墓の形は定まっていましたので、研究調査のおりには、重要な物件です。戒名も当然大切な調査対象ですが、今のように戒名を買う時代では、当てはまりません。蛇足ながら、死んで仏になる成仏、お釈迦様がおききになったらさぞかしびっくりすることでしょう。ましてや位牌があり、成仏したと坊主が受戒(引導)しながら,戒名に位分けが有り、金額が違うとなれば、現在のインド人も腰を抜かすでしょう。

戸田家廟園  県2丁目

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