赤紙・一銭五厘の命

1945年の敗戦により帝国海軍が解体されるまで男子は満20歳になると、強制的に徴兵検査を受けなければならなかった。身長・体重が終わると、素っ裸になり、肛門を調べ性病の検査を受けた。若者たちは、現役入営できる甲種合格を誇りとし、その他の、第一乙種・第二乙種・丙種・丁種あり、下位にいくほど親子ともども肩身の狭い思いをしたという。

 警察をつうじて本籍地の役場より、本人に召集令状が送られた。赤色の葉書の送料は一銭五厘だった。「馬は買わなくてはならないが、お前たちは一銭五厘の命だ」と称された。

 戦争が長引くに従い、若者もなんとか徴兵をのがれんと、検査日には醤油やひまし油などを飲んだという。また、当時は結核患者が多く、なかには兵士になれないことを恥と思い、自殺をした者さえいたという。

 昭和18年、戦局はいよいよ窮地に追いやられ、学生の徴兵猶予の特権を全面的に停止し、約3万人の兵士を即製した。戦争記録映画などでご存知の方も多いことと思いますが、雨激しく降る中、明治神宮出征行進の実況中継をNHKが収録した。

この年より、国は45歳までは『青壮年』と持ち上げ、戦地へ、一銭五厘の命で送りだしたのである。

 

銭湯であったオッチャンから

 80歳代のオッチャンは首から肩にかけひどい古傷がある。一瞬ドキッとしたがオッチャンの方からはなしてくれた。
 昭和19年12月に召集され翌年4月に北満州に派兵された。一発の銃を引くことも無く、部隊ごとソ連に捕虜となりハバロスクに抑留される。2年目に落盤事故にあい幸か不幸か日本に帰されたという。ソ連にとっては役に立たない怪我人なんぞに飯などやれないわけだ。当時の戦友は重労働の上に餓えと寒さで多くが死んでしまったという。
 銭湯が賑わっていた20年ほど前までは、戦地での苦労話が聞けたものだった。
戦争はいかなる理由があろうと解決の手段であってはいけないのだ。

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