原始から古代

松本平に住人が現れたのは、旧石器時代のおよそ14000年前。

縄文時代になると気温も上がり(地球規模での温暖化―縄文海進のこと)集落ができ、4500年前ころには大きな村もできたようだ。内田地区に発掘されたエリ穴遺跡31軒の住居跡からは土器・石器そのほか土器製の耳飾などの出土品は、縄文後期の様子を知るのに全国的にも貴重なものです。

 

弥生時代より稲作農業も進み、古墳時代(1700――1300年前)に入ると桜が丘古墳・弘法山古墳・中山古墳群などの古墳が、主に東山山麓に造られた。

弘法山古墳は三世紀末期の前方後方墳では、東日本では最古級に属し、出土品の数々は県宝指定です。

奈良・平安8世紀--12世紀、東山山麓の集落ばかりでなく、平野部を含む広範囲に点在するようになった。

国府の所在地はいまだに定まっていませんが、古くから言われていた惣社説は発掘からは、有力な証拠はえられていない。むしろ、県町や大村柳田遺跡に注目しているようです。

 

 

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