義務教育の始まり

明治5年(1872)に「学問は身を立つるの財本」と大変もったいぶって、義務教育制度が発足した。身分・男女に関係なく就学しろと命じ、 「・・・不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」。だとしたら無料かといえばさにあらず。お米一升約(1.8リットル)が5銭という物価の時代に、50銭の月謝であった。地域によって月謝の格差はあったが、農民の平均収入が一日3銭から5銭。製糸工場での一番上のクラスで日給7銭8厘であった。 大義名分だけでは、財政的にもとても無理なことで、各地で反対の一揆があった。

 では、教育の内容となると、歴代の天皇を覚える歴史が主だった。最大の目的は、幼児期から天皇は現人神で絶対服従の体制を築き上げんことであった。視点を変えれば江戸時代は、身分制度に縛られていたとはいへ、天皇が神などという感覚はなかった。幕藩体制の崩壊後の中心柱を、天皇に集中させたのである。

 国語は外国語の直訳であった。明治6年の「小学読本」では、「比猫を見よ 寝床の上に居れり これはよき猫にあらず 汝は猫を追ひ退くるや・・・」現在の若者にとっては、オモシレー かもね。

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