伊勢参り

 春めくや 人さまざまの 伊勢参り

芭蕉の門人の句である。また、16世紀に宣教師ルイス・フロイスは、「太陽の化したものとされる伊勢の天照大神のもとへ、日本各地から巡礼が集まり、伊勢へ参らない者は、人間ではないとおもわれる」と祖国に報告をしている。

江戸時代に数回見られた[おかげ参り]と呼ばれた異常な現象は、1705年に再燃し、 50日間で参宮者は360万人。1830年は史上最大。3月から8月の間に、宮川だけでも渡ったのは450万人という。絵巻には,男装・女装・幟旗をたて、自由で生き生きとした人々が描かれている。こうした風景は、年中行事化したものだった。

 中世以来、熊野・伊勢などの遠隔地への参詣は「講」という組織をつくり、費用をだしあった。室町幕府時代からこの積立金に対しては、税をかけなかった。

 天皇家の祖伸を祭った伊勢神宮は、元々庶民とは無縁の国家神。律令制度の解体で経済的に苦しくなった神社は、武士から庶民までを対象に祈祷を始めた。神宮側の働きもあり、やがて、農耕神・五穀豊穣神など、庶民感覚の神へと受け入れられていった。

明治時代に入って、神道国教化政策が進められると、神宮は国の管理下に入り、江戸時代のようなおおらかな信仰ではなくなってしまった。ただし、昭和221947[御鍬祭]といって、東海地方・美濃・飛騨で最後の五穀豊穣を祈る爆発的な祭が、村々へ広がった。
              

蛇足ですが20年ごとに繰り返される遷宮への寄付金が日本中の神社に割り当てられるようです。
地域の伝統儀式を保っていくことは大切なことですが、鎮守の杜にそんな裏があるとわ・・・。

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