最後の藩主
松本藩最後の殿様は、1845年若干18歳で城主となったのは戸田光則みつさだ。以後、明治の廃藩置県までの26年間、多事多難な時代をすごした。明治維新後の彼ら殿様はどんなことになったのか・・・。
制度上では殿様はなくなったが、藩主は華族という高い身分と、旧藩の一割の実収入を補償された。その上藩の借金は政府が肩代わりした。一割に削られた禄高は、5―7分の利子がつき配当された。ということは、借金は棒引きの上、黙っていても国から莫大な手当てがあった。
1884年には、華族は考公侯伯子男の爵位が受けられ、貴族院議員へとなっていった。
江戸時代の身分制度は消えたが、社会的には重要な地位が有り、今日の国会議員荷まで続いている。
市民平等といっても名ばかりで、江戸時代の『士』・『農・工・商』・『エタ・非人』の三大差別は、華族・士族・平民となっただけである。
ついでに選挙権をみてみると、1892年に普通選挙運動がおこり、直接国税15円以上の納税者、100人に一人の割合だった。しだいに枠は広がっていった。1925年大正14、紆余曲折をえながら有権者は男子のみで、1200万人。しかし、女性はまだ与えられなかった。