国 宝 松 本 城

 穀物の宝庫といわれる安曇野をひかえ、北陸道・中仙道・越後路の交通の要だった松本の地は、歴史物語として大舞台には登場してこないが、360年間の城の歴史は、十氏29代の城主の交代があり、その複雑さはまぎれもなく戦国の血風にみちている。

 永正元年(1504)島立貞永が林城主・小笠原貞朝と図って小規模な城を築いた。これを深志城とよんだ。これはあくまでも史実に残る範囲の松本城の出発点であるが、古くは鎌倉時代から、小笠原・松本・坂西の諸氏が相前後してこの地を領していた。

 小笠原氏から1550年武田氏が支配。1582年信長に滅ぼされた武田氏のあと,木曾義昌・上杉景勝・小笠原貞慶と定まらなかったが、城地も広がり、名称も松本城となった。

 現存する天守閣は天正18年、秀吉の命令で、石川数正が八万石で移封したおりに築城したもの。その後の歴代の藩主によって増築されていった。

今日私たちが見上げるお城は、物見櫓的な天守閣だけで、城郭をなしていた執務をした本丸は、1727年に焼失、再建されなかった。執務は二の丸御殿にうつされたが、武家屋敷ともども焼失してしまった。

国宝指定は1952年。チケット売り場がある黒門は、明治四年に取り壊されてしまったものを、平成元年に完全復元された。市役所側から入る太鼓門は、同じく明治4年に競売にかけられ取り壊された。平成11年に復元された。

 黒板壁と白い漆喰壁のコントラストが美しい城は、素朴ながら変化に富んでいる。この黒色は墨と柿渋を混ぜた昔ながらの塗料である。

 国宝のお城は4城  犬山城?愛知県 彦根城−滋賀県 姫路城−兵庫県

 

 二の丸御殿跡から見た天守閣
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