縄手通りが今のような商店街になったのは戦後のことで、堀が埋め立てられたことから、上土・みどり町が一層にぎやかになった。
四柱神社周辺に、露天商などがなんとなく定着していったのが始まりだ。

   市内の祭りとなれば神道祭りだが、その起源となると実に明快。
堀を埋めて建立した明治13年
(1880)からだ。9月31日より10月5日ときめられ、大変な盛り上がりだった。

 そのへんのことを当時の手記で紹介すると『南北深志町より山車を出し、俄踊りを催し、互いに相往来して昼夜大群衆、深更に達して人未だ去らず。弦歌・鼓笛の声、喨々僧僧として処処に聞ゆ。松本ありてより曽て見ざる所なりと去。』うーん・・・。ともかく、イベント大成功。
 祭りに欠かせない売り出し物としてザクロがあった。
農作業も一段らくし、松本の長くてサブイ冬を思い、プチプチト甘酸っぱい実を食べたわけセ。

  祭りとなれば参道や境内に露天商が並ぶ高町だ。
色とりどり、品物それぞれ。だますかだまされるか。ともかく、露天商のテントが並ばないと祭りは盛り上がらないが、今日は事情が少々かわってしまった。
 オーナーは香具師−テキヤと呼ばれ、御身一つで諸国の高町で何でも売った、プロフェショナルだ。ホラ映画の‘寅さん゛の世界セ。
 縄手通りにも諸国から゛トラサン゛がやってきて、地元の露天商さんと祭り空間を演出してくれた。
 売っていたものとなると、正直なところ少々インチキ臭い物があったけんど、買い手もとんちと、パンチのきいた口売を楽しんでいた。

 主な商売をアトランダムに言っちゃうと、ご存知「バナナのたたき売り」はケンカ口売の筆頭だ。「ガマノ油売り」のみごとな刀さばき。なにやら袋に毒蛇がいるらしいが、とうとう中身はみていない。目的は怪しげな薬を売ることにある。刀で腕なんか切るとバート血が出て、薬を塗るとタチマチストップ。その秘密は後日知ることになったが、ここでは秘密にしておこう。

 

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