デカンショ デカンショで半年暮らせ。

 この歌詞を地でいった松高生達。大正8年に松本高等学校ができ、日本中から大志をいだいた若者たちが、新風を吹き込んだ。
 今の県の森公園にあった、思誠寮に寝起きした学生たちのトレードマークは、ペッチャンコにした学帽に色あせたマント。高歯の下駄はなんども歯をいれかえ、バンカラこそ誇りであった。
 ストームといってのぼり旗をかざし、太鼓を打ち鳴らし,寮歌やデカンショを歌いながら町へとくりだした。

 明治維新前までは、番所や牢屋そして米倉などがあった上土は、演芸場・玉突き場・蕎麦屋・うどん屋・すし屋など、今に続く店屋が並ぶ盛り場になっていた。 いつの時代も変わらない若者は、メッチュン{かわいい女}を求め、人生の悲哀をあじわったことであろう。 だが、昭和の時代が進むに従い、戦争一色へと突き進んでいった。
 神社は出征兵士の無事を祈る父母・兄弟・恋人。悲しき風景がくりひろげられていった。 

 昭和20年終戦まじかのある学生の日記に、「月半弦にして暗雲低迷し、風  0000として松本平の灯火もまたとぼし、その後大デカンショを行い、若人の意気を燃やす」

 文明開化いらい、昭和前半まで富国強兵と、戦争の影がいつもつきまとていた。激動の時代を生き抜いてきたご先祖様・お爺ちゃん・おばあちゃん・父ちゃん・母ちゃんに、改めて感謝感激・雨あられ。

 

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