皆の衆 お待たせいたしました。
文明開化の明治の時代になり、にわかに縄手通りは賑やかになってきた。
馬が駆ける土手道から,庶民がブラブラする道になったのは四柱神社ができたからだ。明治半ばのガイドブック「松本案内」には、四柱神社をナワテにあると記されている。
今風に書き直すと、明治九年に総堀を埋め、四つの神様「柱」を祭ったところから始まった。女鳥羽川の清流と松並木がばつぐんに美しい所だと紹介されている。
さらに、当時としては唯一の公民館もでき「数百人を容るるに足りる大建築物なり」と気合がはいっている。
それも、いきなりそうなったわけじゃあなくて、明治13年に天皇さんが全国を回った、いわゆる巡幸のときに休憩地となったのが四柱神社だった。
天皇さんは天上人である、ジッちゃんバッちゃんにとっちゃあ、そりゃーどえらい騒ぎだったズラ。
松本の近代史のスタートだといえるンネ。