女鳥羽川のごとく時は流れ、 お城の石垣のように人々の営みも築かれていった。
と、ナニカにまねて書きだしても、たちまち底切れしちまった。
 だけんど、松本城の歴史だけでもおよそ360年。そのあいだ10氏29代の殿さんを迎え、探り出したら底が見えない。
 明治の初め、門・櫓・塀や御殿などが解体され、お堀は外堀の一部を残し、
総堀は埋められてしまった。かろうじて天守閣だけが残ったわけだいネ。
 ご先祖様はお城を見上げては、三国一と誇りに思ったかもしれないが、お城を心棒とする暮らしが崩れると、お城への思いもかわっていったことズラ。
 明治中期の写真に、傾いたお城の姿があり、フッと感傷的になっちまったワケセ。
次いでながら、お城が売りに出たことがあったというからおどろきだいね。

 城下町の繁盛ぶりを話してきたけんど、文化活動もさかんだった。
 1800年代の大ベストセラー作家十返舎一九が、「続膝栗毛」の取材をかねて、
高見屋さん
の招きで来ている。豪商宅で歌会なんぞしたり、浅間温泉で地酒で一杯。
松本城をながめて一杯は出来なかったかもしれないが、女鳥羽川の松並木で、白と黒のコントラストが美しいお城を見たことは確かだ。
「続膝栗毛」の挿絵には、弥次さん北さんがなごりおしそうに、城下町をふりかえっているンネ。

 幕末から明治にかけての激変は、とんでもないことがあった。
その一つに廃仏毀釈・ハイブツキシャクがあった。なんだか舌をかみそうだが、簡単に言っちまったら
日本国は神の国であるから、よそから来た仏教なんてつぶしてしまえ。てなわけせ。
 松本での廃仏毀釈の運動は大波となって、女鳥羽川に仏像や仏具など投げ込まれ、
さらに由緒あったお寺が取り壊されてしまった。
これは全国的にも徹底していたものらしい。 文明開化だ・古いものは悪だ・お上にさからうなと、
松本人には、妙にお上に義理堅い所があるような気がするジ。
 

                                                    

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