女鳥羽川ありて松本の町

 めとばとはなんとも美しき響きだけんど、由来となるとさっぱりわからねー。
この川はたった18キロあまりと短いが、1000メートルちかい標高差がある暴れ川だった。
 岩間からポトリ、ポチャンとしたたり落ちるあたりは、
三山峠(1500m)や武石峠(1800m)袴越山(1753m)の険しい渓谷だ。
 ナメテ行かれるとこまるけんど、美ヶ原高原へのハイキングルートとしてお勧めだ。
登りきれば、アルブス連山を背景にした松本平が輝き、なんとも豊かな気持ちになるンネ。
残念ながら、松本城を探し出すには一時いるけんど、そのぶん発展してきたということズラ。  

 元禄年間の松本城下図を見ると、今の千歳橋(大手橋)から、大名町に入る大きな交差点には、
お城の正門・南大手門があった。
天守閣のような立派なものだったが、明治維新のときにサッサッと壊してしまった。
 そこから、一つ橋の木戸まで148間(270m)が、女鳥羽川と外堀の間の土手だった。
明治以降に、このあぜ道のような所が「縄手通り」として発展していった。
 六九町商店街は馬屋が並んでいた所で、
お侍たちは今の縄手通りで運動会でもやっていたことズラ。
 女鳥羽川を境に、武家地と町屋はしっかり分けられていたが、
この通りだけはフリーゾーンだったようだ。
上土町への入り口には番所があり、牢屋や米倉があった。
 市役所の東側のお堀は総堀の一部で、縄手通りまでのびていた。
明治4年ころに描かれたスケッチを見ると、石垣に土塀が重なり、
今とまるっきり違う風景だった。


                                                          

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