盗人に とりのこされし 窓の月                         
                                                    
                        良寛

 ひどい貧乏暮らしの良寛さんの五合庵に、盗みに入った泥棒もどろぼうだ。なにもないのでびっくりしたことであろうが、手ぶらでは帰れない。座禅に使う破れ座布団を盗んでいちゃった。すき間風に底冷えする床での参禅は、さぞつらかったでしょうが、「どろぼうさんヨ。月(悟り・真理)は持っていかれまい」と。その程度の解釈ではあまりにもストレートで、この句の本意は悟りの世界をあらわしているそうな・・・。
 しかし、私にはわからない。良寛さんの姿よりも泥棒さんが浮かんでくる。しみだらけの座布団を抱えて、月の光りを避けながら一目散に逃げていく。良寛さんよりもっと赤貧の人だったのです。ナニカものすごく精細でリアルな光景でありながら、ユーモアとあわれを感じる、私が大好きな一句なのです。
 あれもほしい。これもあれば便利た゛と、うたい文句に押し流され、アップアップしながらようやく岸にたどり着けば月が在る。「月光はこんな俺にも平等に照してくれていたんだ。ありがたや。ありがたや。」となれば、「発菩提心」となりますが、なかなか入信の手引書のようにいきません。一層のこと、煩悩即菩提心。

良寛  1758-1831
江戸後期、11歳の頃から漢学・漢詩をちゅうしんに学び18歳から参禅し、20歳で得度を受け出家。
「この杖がお前の印可証明(悟りの境地だ)」とした師匠の教えを貫きとうし、寺をもたず在家に暮らす。孤独でありながら、人を愛し酒を愛し、西行・芭蕉を慕い尊敬し、傾斜していった。

自内証・・迷妄の苦しみは自然なことでもある

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