み眼は閉ぢておわししかなや
面ももちのなかにか湛へて匂える笑を
北原白秋
白秋が唐招提寺の開祖鑑真和上像に感動した時の歌らしい。私が初めてこの尊像にお会いしたのは20歳半ばだった。爛漫の桜がおぼろ月に浮かんでいるように観え、美術書や写真からのイメージと異なり、とまどいを感じてしまった。当然のことではあるのだが、優れた写真は写真家の目による作品であり、心に残る言葉は作家になるものだ。時として、このあたりまえのことを見失って、解説書にふりまわされることがあります。 製作者の意図はとか構図・構成は、はたまた哲学性はなどと小難しいことを考えるのではなく、観た瞬間に感じたままでいいのです。自分に学問的解説書的な説明をする必要はないのです。自分だけの感動で、そのまま魂となっていくのだと知らされた尊像でした。言葉にしてしまえば空虚になってしまうのですが、写実を極めつくせば形や色などの視覚的なものは消へ、光りや音のような非物質的なものになっていくのだと思います。それは「魂のリアリズム」とでもいいますか、「魂の美・美の本質」だと会得してより、教科書的な美学論を徐々にぬぎすててきました。
ただいまは脱ぎ捨てることも着る事もめんどうになった、飲酒怠惰痴呆的思考停止還暦過ぎオッチャンですが、願わくば鑑真和上の尊像のように「匂へる笑み」になりたいものです。
北原白秋 1885-1942
祈る・なにも求めず祈る