白鳥は悲しからずや空の青
       海の青にも染まずただよう 
             
                                       若山牧水

 私は30歳代から辺境の地に暮らす人々の宗教観や伝統文化にひかれ、一人旅をつづけてきました。そんな私に「一人旅はきらくでいいでしょうねー」と言われれば「ええマー。旅は一人に限ります」と、いとも気楽で能天気な道中話しに変色していまいます。しかし、本当は寂しく・つらく・悲しい事の方が多いのです。旅の真っ最中に、なんでオレはこんなにつらいことをしているのだろう。やめよう。どおせ使う金ならば、町場のネーチャン相手に酒を飲んだのほうが・・・。不安と後悔が入り混じった緊張の日々が続くのですが、旅が終わってみれば、身も縮むおもいの緊張感が恋しくなってくるのです。その心境はなかなか伝えにくいのですが、私は旅と旅行は使い分けているのがせめてもの思いなのでしょうか。とはいっても、私は放浪者ではなく、帰る所をもった外国人には違いがないのですが。
 若山盆水のこの歌は好きな一つで「悲しからずや」と強がっているのが、旅の哀愁と孤独を感じるのです。私自身、身一つの旅人(人生になりきれず)、他人に理解をしてほしい、認めてほしいという、おもいは消えません。それ故に、この歌からは空の青、海の青にも染まりきれない、孤独で悲痛な一声が聞こえてくるのです。
この歌には月は歌われていませんが、昼間の明るさが濃く残る空に、気ずかれずに在る月だと思います。

萌芽・・見る者・見られる者。主観と客観を超えた真価は内に有ることにきずく

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