月やあらぬ春や昔の春ならぬ
   わが身ひとつはもとの身にして
 

 万葉集の自然描写の句は、大空に悠々と遊んでいるような感動と能天気さを感じ、気持ちがいいのですが、そのぶん人間の葛藤といいますか、生身の吐息が聞こえてこない気がします。ただし、嘆きや愚痴っぽさのある歌となると、ほとんどが失恋がテーマで私には実感が伴ってこないのです。
数ある男の歌もなんとも未練たらしい失恋の歌とおもえへ、赤提灯のおばちゃん相手にぐだぐだと゛きらわれ酒゛のムードです。
そこで恋歌を家庭や会社などへの不平不満のぼやき歌と読み替えると、王朝貴族社会のストレス歌とも読み取れるようになってきた。
 ゛あの人は来ない。トホホホ・・・゛は上司はおれを見限ったか。チキショー゛だったり。左遷された恨みつらみのはけ口歌と読むと、私の周りにもたくさんいるではないか。
 在平業平のこの歌など「俺は本社でバリバリの仕事をしてきたんだ。必ず戻れる。あいつさえいなくなれば俺は帰れるんだ」と背中まるめたやけ酒の情景が見えてきます。
そうです。多いに愚痴って時節をまちましょう。それとも一気に月を求めて飛び出してみますか。そんな帰路に立たされることがありますよねー。
 私の場合は、20歳半ばで会社を止め「というより首」になり、仲間と設立した仕事が順調に進み、一夜の馬鹿騒ぎでたちまち倒産。こりずにおなじパターンを繰り返し「俺は芸術家で商売人ではない。フリーに徹す」と、アルバイトをしながら絵画制作をしてきました。
「月」どころではなかったのですが、「楽しい青春。苦しい老後」のやせ我慢の真っ只中です。

人は一人では生きていけない。それ故に人間関係で苦悩し自己喪失をする

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在原業平

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