をうたった詩歌でパッと浮かぶのは「月が出た出た 月が出た。三池炭鉱の上に出た。あんまり煙突が高いので さぞやお月様けむたかろ サノヨイヨイ」の炭鉱節です。この歌は私が小学校入学時に大ヒットしたもので、幼児期のことなどほとんど記憶のない私ですが、この炭鉱節に関係した小さな事件は、まるでビデオを観るがごとく蘇ってくるのです。
 信州に疎開した一家は帰京をせぬまま、私は田舎の小学校に入学しました。二本線の鼻ったれ顔に、使い古した国民服をさらに仕立て直しをした上下服、ではなく、坊ちゃん刈りに黒色の上着に半ズボン。胸には真っ白なハンカチをつけた、今日ではあたりまえのぴかぴかの一年生スタイルでした。唯一の写真には、いがぐり頭のガキ連のなかで、燦然と輝いている「ソカイッコ・・・あだ名だった」でした。
あの食事も事欠く生活の中、一つ一つがべらぼうに高かったであろう物資不足の時代に、どうやって手に入れたのかついぞ母にききそびれてしまった。当時の社会状況が判ってくるほど、亡き父母に感謝と敬慕のきもちが沸きあがってきます。
 さて、入学式も無事終わり、教室での最初のお勉強。
「みなさーん。この歌を知ってますか」と男先生がオルガンでナニカの歌を弾いてくれた。そおーー。私には聞き覚えのないナニカの歌だったので、「せんせい、そんな歌しりません」と声高々に「月がでたでた 月がでたー」と炭鉱節を歌ったのです。
授業参観をしていた母はハナッタレ小僧のカーチャン連のなかで、うろたえたことでしょう。帰宅後そのことについて母からナニカ言われた記憶はないが、私が大人になった過ぎし日に「あんなに恥ずかしい思いをしたことは、後にも先にもなかった」と笑いながら話してくれた。なによりも、担任になった先生がたまげてしまったらしい。ついでながら、この先生には大変かわいがられ、幸せな思い出があったが、三学期には帰京することになった。
 もっと高尚な月の詩歌から書き出したかったのですが、パッと浮かんだのが「炭鉱節」ですのでもう少しおつきあいください。

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