あかあかや あかあかあかや 
     あかあかや あかあかや月




 ナンダ ! この詩歌は ! ひかり 光り 光りだらけで目もくらみそうだ。たった24文字からこんなに光り輝く世界が展開しようとは、意味はともかくびっくりしてしまいました。最近読んだ禅のことに関した書籍のなかに記載されていた歌で、道元上人とほぼ同じ時代の明恵上人(1173--1232)というえらい禅僧の作です。
 「あるべきように」と、理屈ぬきに自然のなされように身をまかせたならば、自由自在な自分本来の「ありのまま」のすばらしさを悟るであろう。と、禅境の最上級段階をあらわしているらしいのですが、私にはとてもわかりません。この歌から私が連想したのは、自分が描いた作品でした。30歳代から世界の辺境の地に暮らす人々を訪ね歩く旅をつづけた時期に、己の心情を描き続けた「旅人シリーズ」や「月・太陽・精霊」でした。それらの小品が押入れの中からモヤモヤと、ひとつの物語として浮かび上がってきたのです。それも、禅世界の境地を表しているという「牧牛図」のようにでした。

 自分の作品と古今の月を詠った詩歌をジョイントさせ、「あかあかや月」の境地まで、私流の解釈で展開できるのではないかとひらめきました。とはいっても「万葉集」とて義務教育時代のものがたよりなく浮かぶ程度で「古今集」「新古今集」「後選集」「捨遺集」「小倉百人一首」などなどからの名句は鼻っから浮かんでこない。それならば「月」の字がはいった詩歌をつまみ食いでいこうと図書館にいけば、花鳥風月・百花繚乱、とりとめなくあり、とても付け焼刃で出来ることではないと、早々にさじを投げてしまった。無理をして知らない詩歌を探り出すよりも、我が家のわずかな蔵書をベースにと、ねずみの小便のしみと香りつきの本を鼻をつまみつつ読みなおす・・・。その結晶が「画文集・・あかあかや月」とあいなりました。

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