るさとは正反対の自然な闇も、日本から消えつつあります。私の辺境地への旅の中で,正直こまってしまうのが毎日の排便でした。ほとんどが定まったところ・便所がなく、川辺・岩陰・原っぱ・畑の隅などいわゆる青空便所。所によっては便所らしき所が、家畜小屋だったり小川だったりします。宗教的な理由があったとしても、不思議なほど無頓着としか思えない暮らしぶりです。男ですら大変なのに女性はもっともっとつらいことでしょう。
 排便のことを話し出したら限がありませんが、暗闇の行為は怖さもあり、ひたすら我慢をした長い夜を思い出します。今でも、思い出しただけで背筋が寒くなってくる、恐怖の闇体験をお話いたします。
 一つはヒマラヤの寒村で、久しぶりに旨い焼酎(ロキシー)を飲みかなりの酩酊で帰路についたが、フット気がつけば壁のような闇世界。左右・上下まったくわからないうえに、闇の重圧感に押しつぶされてしまった。畑の中で這い回っているところを村人に助けられた。失禁の上、三日ほど高熱にうなされ、「悪霊」が取りついたと、祈とう師(ジヤンクリ)からお払いを受けた。薬として聖なる牛さんの小便でかためた丸薬を飲まされた。実にまずかった。
 今ひとつは、熱帯雨林でのキャンプで、真夜中に小便に出る。数歩の距離でなにも見えない闇世界に変わってしまった。カサッと草むらの音に、血が逆流し凍りついてしまった。
 インドネシア・カリマンタンの熱帯雨林に暮らすダヤック族の人々は、「夜の森」を物理的にも宗教的にも非常に恐れていました。右京大夫さんの歌からとんでもない話になってしまいました。

初心・・概念的知識を捨てる

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